やられたら、やられたことの反対をやりかえす|道は開ける

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 ★敵を愛すること

やられたら、やられたことの反対をやりかえす

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「やられたらやりかえす。倍返しだ」最近、そんな言葉が流行っていましたね。

でも、一体、何を倍にして返すのでしょうか?やられたからやりかえす。

人は仕返しをすると、自分が相手に囚われ執着になる。

倍返しに執着しはじめると、どんどん焦点が狭まっていき、やがて自分が見えなくなっていき、”敵”の存在が大きくなっていく。

”人間が成就するものはすべて、その人間自身の考え方がもたらした直接的な結果である。”

きっと、「やられたらやりかえす。倍返しだ!」と憎しみや怒りをぶつけようとする考え方があるから、結果として、相手にやられるのだと思う。

自分に敵だと思う人が現われたとき、聖書には”その敵を愛しなさいと自分を迫害する者のために祈りなさい”と書かれている。

これは具体的にどういう意味でしょうか?僕自身の考えでは、相手を愛して祈るということは、相手そのものを許し認めると言うことだと思う。

そして、それは、相手の為にするのではなく、自分自身のためにすること。

なぜならば、敵をも許し認めた時点で、自分の心は執着から大きく解放さていき、結果として”敵”という概念が存在しなくなるのだと思う。

もし、宇宙がすべて同じ粒でできているのであるならば、”敵”と感じる相手も自分と同じもの自分と同じ物を”敵”と捉えた時点で、それは自分が”敵”を創り上げたということ。

もし、どうしてもやられたらやりかえす。

倍返しをしたいのならば、やられたことの反対を倍返しにしようとすれば、いいのだと思います。

それももた、自分に還ってくるものだから。

続きを明日書きます。

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