前回の記事の続き。
去年の10月から書き始めたこのブログ。
今まで、ほぼ毎日更新してきたけど、
3.11大震災の時の2週間がぽっかり抜けている。
関東に住む僕にとっても衝撃的な出来事だった。
過去の記事を読み返してみると、
当時の混乱した社会を思い出す。
・スーパーでの買い焦りによる長蛇の列。
・乾電池やガスコンロなどの品不足
・震災から2日後にいきなり始まった計画停電。
・街から消えたガソリン。スタンドに並ぶ車の列。
・原子力発電所の放射能漏れの心配はなく、
今のところ問題ないと言ってた政治家の言葉。
これらの事は、なんだかだいぶ昔のような感じがするが、
まだ、8ヶ月前のこと。
当時消えていたお店の看板も徐々に明かりを戻し、
僕ら関東の街では、震災前の時とあまり変わらない状況に戻った。
今思うと、3.11の大震災を経験して、
5月初旬にに石巻に炊き出しボランティアに行ってから、
自分自身の考え方が大きく変わったと思う。
ボランティアに行ったとき、
多くの被害を受けた街の中を軽トラで走り周り
普通ではありえない光景を実際に目にして
3.11当時の悲惨な話を沢山聞いた。
今でも色々な光景を思い出せる。
上記の写真。道路に横たわる大きいタンク。
その下には3台ぐらいの車が潰されていた。
その近くに1台の軽自動車が転がっていた。
窓がすべて無くなり、車内もぐちゃぐちゃだった。
その車内の椅子にはポツンと
かわいいベビーシートが取り付けてあった。
そして、その車には1枚のメッセージが貼り付けてあった。
「この車に乗っていた、妻と子どもがまだ帰ってきてません。
どなたか、私の妻と子どもを見かけませんでしたか。
消防の方、どうか妻と子どもを探してください。
自衛隊の方、どうか私の生きる支えを見つけてください。
お願いします。お願いします。」
こんな感じの悲痛なメッセージだった。
このメッセージを読んだとき涙が出てきた。
もう1つの町の光景もリアルに覚えていてる。
リアス式で波がとても穏やかで静かな入り江。
春らしいさわやかな風がフーッと肌に当たり、
とても気持ちいい場所だった。
でも、その後ろを振り向くと、
津波により町がすべて壊滅している状態。
海岸線から遙か彼方までがれきがあるだけ。
3階建てぐらいのビルの屋上に観光バスが乗り上げ、
自衛隊の人たちが一列になり地面の中の遺体を探していた。
そんな何もない街の中を、150人分の食材を満載にして、
その街の方々が避難している避難所へ走った事を。
そして、こんなにも静かで自然が素敵な場所なのに、
その自然の猛威により街が壊滅してしまった事実。
自然の美しさ、優しさ、
でも、その反面にある自然の猛威。
そのギャップと現実を感じた時に、
普通に生活している事はあたりまえの事ではなく、
普通に生活出来ていること自体がとても幸せなことだと。
蛇口を捻れば水が出て、夜になれば電気が灯る。
こんな小さい日常がとても大切なことだと。
そう感じられたとき、過去を後悔して生きるよりも、
少しでも前を向いて生きていこうと思ったと思う。
そして、今日に至る。
でも、決してあの日の事を忘れてはならないと思う。
多くの方が犠牲となったこと、
関東の僕らが湯水のごとく使用していた
電力の裏にあった福島原子力発電所の存在のことを。
今日もこうやって普通にブログが書けることに感謝します。
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