春、フレディは1枚の葉っぱとして太い枝に生まれた。
夏、フレディは太陽の光を浴びながら、自らの成長と、
木に栄養を与え、人々に木下に木陰をつくる仕事をした。
秋、フレディは、周りの葉っぱたちと一緒に、
色鮮やかな赤や黄色になった。また、
人々に紅葉という美しさを演出する仕事をした。
フレディは葉っぱとして生まれてきて、
そして、冬、
フレディの周りの葉っぱが次々と散っていた。
フレディは自分が散るのを恐れた。
でも、それが自然の変化であり、
それにどんな葉っぱも逆らえない。
そして、最後にフレディも散っていた。
でも、ぜんぜん痛くも怖くもなかった。
フレディの”いのち”が抜けた葉っぱは、
やがて、土に帰り、再び木の栄養分となり、
春に新たに生まれてくる葉っぱ達の貢献をした。
実際の農業の仕事の中でも、
秋に落ち葉を集めて腐葉土を作ります。
そして、その栄養価の高い腐葉土を使った土に、
新たな作物を種を蒔き、新しい命を生み出します。
そう考えると、フレディは、
自然と時間の変化の中で成長をして、
色々なところで貢献をした生涯だった。
そして、きっと人間も一緒だと思う。
歴史に名を残すようなことをしなくても、
きっと、今を生きて存在をしているだけでも、
自分の目には見えない色々なところで、
きっと何かを貢献をしているのだと思う。
フレディは幹から落ちるとき、
その木全体の大きさを知った。
人もきっと”いのち”を終えるとき、
人生全体の意味を知るのだと思う。
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