先日の記事で書いた「いただきます」を
深く考えるきっかけとなった
農家での仕事。
それは、ニワトリを絞めて鶏肉にする仕事。
うつ病のリハビリとして今の農家さんに手伝いに行ったとき、
ここのオーナーが、
「もし、あなたがこれからも生きていき、
鶏肉を食べるのであればこの仕事を経験しないさい」
と言って、この仕事を手伝わせててくれた。
この仕事のことを
あまりリアルには書きませんが、
鶏を絞める作業のプロセスで、
自分の手の中で、鶏の命がなくなる瞬間がわかる時がある。
それは今まで生きていた鶏の力がフッと抜ける瞬間。
数分前までコケコケ鳴いていた鶏が、
もう動かなくなり生き物から、ただの物体になる瞬間。
この時に、自分が鶏の命を頂いたこと実感する。
そして、その鶏を解体し鶏肉してから、
自らがそれを食べる。
その鶏の肉は、自分の体に入り、
自分の血となり肉となり、
自分の生命を生かし続ける栄養になる。
正直、最初この鶏を絞める仕事はやりたくなかった、
でも、この仕事を手伝ったあと、
オーナーが言ってくれたことを理解できるようになった。
それは、自分が生きる続けるということは、
他の命をいただいたうえに成り立っていると言うことを。
この生命の連鎖を感じたとき、
自分は単に生きているのではなく、
色々な生命の連鎖のうえで生かされている事を実感する。
僕らは鶏肉・牛肉・豚肉・魚・野菜・穀物、
日々色々な生命をいただいて生きている。
今の時代、お金を払えば簡単においしい料理が手に入る。
だけど、あまりにも簡単に食べられるものだから、
その根底にある生命をいただいて生きているということ
を忘れてしまっているのではないだろうか。
そして、その大事なことを忘れてしまったから、
人は時として自ら命を絶つことをしてしまうのではないだろうか。
人間は人間だけでは生きていけない。
他の生命を頂いて生きているということを実感する為にも
「いただきます」と心を込めて感謝すること。
そして、そのことに素直に感謝できるようになったとき、
自分自身が今を普通に生きていられる事に感謝し、
幸せを感じるようになるのではと思う。
この仕事を体験させてもらい、
「いただきます」という意味を深く理解することができた。
今日も1日ありがとうございます。
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