前回の記事の続き。
メンタルで学んだ事を踏まえ、
子どもとの関係の改善をするにあたり、
一番最初にするべきことは何だろうか~と考えてみたら、
自分がもっている立派な父親像を捨てることだと思った。
次に、その立派な父親像は何かな~と考えてみたら、
子どもからみて強い父親であること、
すなわち、弱さを見せない父親でいることだと思った。
でも、自分も父親である以上に1人の人間であり、
人間であるから喜怒哀楽の感情をもっている。
だけど、今まで自分は子どもの前では感情を
素直に表現することがなかったと思う。
子どもに父親の弱さを見させないために。
メンタルで学び、ゲシュタルトの詩を感じたとき、
子ども達も立派な1人の人間だと気づいた。
そして、父親も子ども上下関係ではなく、
対等な人間関係であるということ。
この事に気づいた時に、
自分の感情を素直に子どもに表現しようと思った。
そんな事を思いながら、先月に親子3人旅をしていたとき。
前々回の記事で書いた、パワーストーンが飛んでいった時に、
はじめて自分の弱さを子どもの前で表現したと思う。
自分が病気の時から使っていた大切なものだったので、
何としても見つけたく飛んでいった方角を
子どもと一緒に探したけど見つからなかった。
以前の子どもに弱さを見せない自分だったら、
「無くなったものはしょうがない。あきらめよう。」と
子どもと自分自身に言い聞かせてその場を後にしたと思う。
でも、この時、自分の感情を素直に表現してみた。
「ずーっと大切に使ってきたものだから、
パパはなくなった事がとても悲しいんだよ。」
っという感じで子どもに話をしてみた。
そしたら、8歳の長男がこう返してきた。
「たしかに、大切なものがなくなったのは悲しいよね。
でもね、せっかく楽しい旅行を今しているのだから、
その事で落ち込んでいたら、旅行が楽しくなくなるよ。
だから、パワーストーンの事は、もうあきらめて、
今日の旅行の事を考えようよ。」って。
子どもから、この言葉を言われたとき、
たぶん、5秒ぐらい何を言われたのか理解できなかったと思う。
まさか、子どもから励まされるなんて思ってもいなかったから。
そして、どうしてこんな言葉が長男から出てきたのかが、
今でもわからないのだけど、
確かに長男はこう励ましてくれた。
そして、この時、
子どもに自分の感情を素直に表現すれば、
子どもは子どもなりに、それを感じ取って、
こうやって励ましてくれるのだな~と思った。
父親だから、立派でなければならない、
自分はそんな感じで子ども達に接してきた。
でも、やっぱり親も1人の人間。
毎日、立派な親でいることは大変こと。
そして、その大変さがストレスになり、
逆に子どもにあたったりしていたかもしれない。
これもメンタルで学んだことだけど、
子どもが8歳であるならば、
自分も父親としては8歳になる。
だから、立派な親という視点ではなく
1人の人間として子どもと一緒に
学んでいけばいいのかな~と感じている。
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