人は活動エネルギーを作るために食事をしている。
だから、人は生命エネルギーがあったものしか食べていない。
肉類・穀物類・野菜類、食べるもの全て生命体であり、
その生命体には、まだ生き続けるエネルギーがあったのに、
人に食べられるべく、その生命エネルギーを命を絶たれている。
そう考えることができると、
僕らは食事をすることで、
他の生命エネルギーを引き継いで、
今日も生きていることになる。
日本では食事をする前に「いただきます」と言う。
僕も農業を経験する前までは、
親から躾けられたから、言うのが習慣だから、
あまり意味を考えずに言っていたけど、
最近、この「いただきます」の意味には、
生命体の命を頂き食べる感謝を表わす意味と、
その命を頂いて、自らは今日も生きるという、
決意の意味が含まれているのだと感じている。
いま、日本では約3万人が自殺しているという。
自殺をする人には色々なやりきれない悩みがあったと思う。
でも、忘れないでほしい、
自らの命を絶つ、その命に土台には、
数多くの他の命が存在していたことを。
いま、食べる事が当たり前になりすぎていて、
生きることがあたりまえになりすぎている。
だから、生きていることに価値を見いだせず、
無価値な自分と思い込み、命を絶っていくのだと思う。
であるならば、
食べる事をあたりまえにしなければいい。
自ら食べるものを作り出すことを経験してみればいい。
小さい畑でも、プランターでもいいから、
自分が食べるもの作り、成長時間を共にして、
そして、最後に自ら食べてみればいい。
そうすることで、自分が生きている事が、
決してあたりまえではないことに、
きっと、気づく事ができると思う。
「いただきます」は
私は今日も生きますという、
頂く命との約束なのだと思う。
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