あれから1年 Part2

昨日の記事の続き

就職に焦る自分と、

段々やつれていき、

体に取り付けられる管が増える父親。

時間だけが無情に経過していくように感じていた。

そんなある日、主治医から話があり、

「父親の抗がん剤の治療がうまく効いていない、

 このままでは恐らく退院もできないだろう。

 もう、抗がん剤の治療を和らげるか、

 あきらめないで、少し強い抗がん剤に変えて治療を続けるか、

 どちらにしますか?」

という選択の判断を依頼された。

もちろん、強い抗がん剤を選択したところで、

余命宣告が無くなる訳ではない、

うまくすれば、少しだけ長く生きられるというだけ。

このとき、医療の現実、命の現実を初めて知った気がした。

母親・兄・自分、医者からの選択を、

いろいろ意見はでるがだれもが最終判断できなかった。

そして、やはり父親の性格からして、

自分で選択するのが良いだろうということになり、

少しニュアンスを変えてだけれども、

主治医から父親に直接現状を説明してもらい、

現状の治療を続けるか、少し強い治療に切り替えるか、

父親自身に選択を話しかけた。

その時、父親は即答で、

「強い抗がん剤治療をお願いします。

 自分は絶対に退院して家に帰りますので。」

と主治医に伝えた。

もうこのとき、父親は声もちゃんと出せない状態だったのに、

弱い声だったけど、主治医にハッキリと父親は自分の意志を伝えた。

父親の精神力・意志の強さを感じた時だった。

それから、強い抗がん剤での治療が開始された。

お見舞いに行っても、起きることができず、

ただ、辛そうにしている父親。

少しでも元気になってほしいと思い、

自分の子どもの話をしたり、

子どもから手紙を渡したり、

休みの日には、子どもたちを連れて行き、

子どもと握手をしたり、

父親が大好きだった孫たちと

ふれあう事で父親に少しでも

生きるエネルギーを送れるかなと思った。

それでも、辛い抗がん剤治療が続いた。

主治医もあきらめず治療はしてくれていたが、

「この抗がん剤は少し強すぎて体力が続かないかも」と言っていた。

それでも父親は治療をあきらめなかった。

この時まで、自分は就職に焦っていたけれど、

この時から、父親と最後の時間をゆっくり過ごそうと、

気持ちを切り替えていった。

そして、奇蹟が起こった。

長くなってしまったので、

続きはまた明日書きます。

今日も1日ありがとうございます。



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