あれから1年 Part5

昨日の記事の続き。

父親から言われた言葉の意味を感じながら、

父親の次の通院の日。

ちょうど1年前の9月8日。

天候は雨だった。

自分は自宅から実家まではバイクで行き、

そこから車に乗り換えて父の送迎をしていた。

この日は雨だったという事もあり、

首都高速の渋滞が予想されたので、

いつもより早めに自宅を出た。

そして、バイクのエンジンをかけようとしたとき、

なぜか、すぐにエンジンがかからず15分ぐらいもたついた。

そして、なんとかバイクのエンジンがかかり、

雨の中をバイクを飛ばし実家に着いたとき異変に気づいた。

「おはよう~」と言って実家に入っても母親の応答がない。

あれ~いないのかな~と思い、父親の部屋に「おはよう~」と

言いながら部屋に入っても父親もおらず、酸素吸入器が、

床の上に乱雑に転がっていた。

この時になって、なにかがおかしいと感じた。

そして、家の中をよく見てみると、

家の中の扉がすべて取り外されいた。

それを見て、何かが通った後だ・・・・

そうだ、ストレッチャーだ!!。

この段間になり、

ようやく父に何かがあったのだと思った。

そういう意味では自分自身も、父との通院生活が、

もっとしばらく続くものだと思っていたのだと思う。

だから、父がいなくなった現実を受け止め切れず、

父に何かがあったと思うまで時間がかかったのだと思う。

そして、急いで防水バックから携帯を取り出した。

そこには、20分前ぐらいに

数件の母親からの着信履歴と、

1件のメールが来ていた。

「父 心配停止 xx病院に今すぐきて。」

バイクで雨だったという事もあり、

携帯の着信に一切気づかなかった。

バイクから車に乗り換え、いそいでxx病院に向かった。

なんとか生き続けてくれ、もし最後だとしたら感謝を言いたい

という思いだったと思う。

病院に到着して集中治療室に入る。

そこで対面したのは、泣いている母親と、

もう、動くことがない父親だった。

実家にいたときに既に息を引き取ったという。

間に合わなかった。

そのとき、どうしてもっと早くこなかったのか、

バイクのエンジンがすぐにかかっていたら

まにあっていたのにと思った。

でも、今思うと父親は自分の死に際を見せたくなかったのかな、

だから、バイクのエンジンがかからなかったのかと。

医師の確認も終わり、

父親は実家で息を引き取ったということで、

一応、事件性がないかどうかを確認するために、

刑事と鑑識官が病院にきて状況などを説明した。

そして、念のため実家も確認したいということで、

自分が刑事と鑑識官を実家に案内した。

実家に戻ると、

さっきと同様に酸素吸入器が床に乱雑に落ちていた。

昨日まで、この酸素を吸って、このベットにいたはずの父親が、

もう、この世界にいないという現実。

酸素吸入器を見ると今でも切ない気持ちになるのは、

この時の思い出があるからだろう。

そして、刑事の確認の質問1つ1つ、

鑑識官が撮影する写真のシャッターの音

それらのすべてが父の死を受け入れろ

って言われているようで、

結構辛い感じだった。

すいません、

また長文になってしまったので、

続きはまた明日書きます。

今日も1日ありがとうござます。



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