昨日の記事の続き。
警察の鑑識も終わり、
父親の亡骸が実家に帰ってきた。
もう、動くこともしゃべる事もない父親。
そんな事を感じながらも、
現実的にやるべき事が色々あった。
関係各所に連絡して葬儀の準備など。
次の日かな、
父親の亡骸の納棺をした。
納棺師の方が父の亡骸の旅支度をして、
棺桶に収める。映画のおくりびとと一緒だった。
この納棺の時、自分の子どもたちには、
学校を休ませて、一緒に立ち会ってもらった。
4歳の次男は、おじいちゃんを見ることがなかなか出来ず、
6歳の長男はずーっと納棺師の仕事を見ていた。
少し辛い現実だったかも知れないけど、
人は生きているからこそ死ぬということを、
実感してほしいと思った。
それから、すぐに葬儀を行った。
とても多くの人が参列してくれた。
会社を辞めてから数年たっていたのに、
以前の会社関係の人々・友人など、
自分の知ることのない父親の関係する人、
なんだか、父親の別の一面を感じた。
葬儀も終わり火葬場に行き、
いよいよ、父親との最後の別れ。
なんとも言えない感じだったけど、
この時ようやく、
自分の中で現実を受け入れることができて、
「ありがとう」と素直に言えたと思う。
そして、父の体が骨だけになり、
その骨と対面をしたとき、
火葬場の担当の方がこう言った。
「骨の中にまで抗がん剤が残っている。
きっと、強い抗がん剤の治療だったのでしょう。
故人の方は最後まで生きることをあきらめず、
そして立派に最後まで生き抜いたのですね。」
この話を聞いたとき、とても泣けてきた。
この話を書こうかどうか、悩んだのだけど、
当時の自分の心を素直に書きます。
話を少し戻して、
父親のがんが発覚して余命宣告をされた時の話。
以前の記事で、自分はものすごくショックだったと書いたと思う。
それは、その時まで、
自分自身がどこかで死にたいと思っていたから。
余命宣告の話があった頃、
自分は前職の仕事を辞めた時で、
その喪失感がものすごく強かった。
もう、すべて終わりだと思っていた。
自分には妻も子どももいるのに、、、、
この思考は、
今考えればものすごく恐ろしい事なのだけど、
当時の自分は確かにそう思っていた。
以前の記事でも書いたが、
その時の自分の価値観が、
大きい会社・そこでの地位・人より少し多い給料、
立派だった父親を超えたいという思い。
働いていた時はその価値観が原動力だったけど、
会社を辞めた時点で、その価値観が、
自分を強く否定していたのだと思う。
そんな時に聞いた、父の余命宣告。
体は元気なのに、
心が死にたいと言っている自分。
体は死に向かっているのに、
心から生きたいと言っている父親。
この現実を感じたとき、
自分の思考が間違っていると思った。
確かに自分は、今までの価値観であるものをすべて失った。
でも、生きる続けること、これからの未来までは失っていない。
その反面、父は来年までは生き続ける事すら難しかった。
人は生きていられることが当たり前すぎて、
間違った価値観、この先に見えない現実に
ただ恐怖・不安ばかりにフォーカスするから
簡単に自らの死を考えてしまうのではないだろうか。
昔の自分のように。
でも、父親はまだまだ生きたかった。
だから、骨にまで入るような強い抗がん剤治療を受け入れ、
最後の最後まで生きることをあきらめなかった。
この世の中には生きたくても生きられない人が沢山いる。
すべてを失い、この先が不安や恐怖でいっぱいかも知れないけど、
生きること自体を自ら見失ってはならない。
今を生きられていること自体が、
決して当たり前のことではないのだから。
実は、これが火葬場の人を話を聞いたとき、
自分が強く感じたことだった。
なんだか最後の最後まで、
父親から教わり続けたような感じがした。
また長文になりましたので、
続きを次回かきます。
今日も1日ありがとうございます。
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