あれから1年 Part7

去年の今頃を振り返り、

その時の感情を思い出してみたら、

なんだか、とても長い話になってしまった。

2011年9月10日のいま。

いまこの時と去年の自分を比べると、

思考・感情面でとても成長したなと自分自身が思う。

去年の自分が、今の自分をみたら、きっと、

「どうしてお前そんなにポジティブなの?」と言えるくらい

ようやく思考と感情のコントロールが

出来るようになってきた。

自分がここまで立ち直れたのも、

やっぱり父親が最後に言ってくれた、

 「お前が病気になり、

  いま仕事をしていないおかげで、

  俺はこうやって自宅に戻ってこれた。

  俺はその事に感謝しているよ。

  ありがとう。」

の言葉の存在がとても大きいと思う。

もし、きっとあの言葉がなかったら、

今この時の自分はいなかったかもしれない。

もし、きっとあの言葉がなかったら、

”自分がうつ病になり父親に心配をかけたから、

父親はがんになり死んでしまったのだ。”

なんて、意味づけをして父の死に対しても、

自分が責任を感じてしまい、

前を向くことができなかったかもしれない。

今思うと、最後の父の言葉は、

ほんとうに父親の口から発せられたのだろうかと感じる。

体力も弱っていた中で通院での抗がん剤治療。

その治療を終え、体力も限界だった父親。

しかも酸素吸入器をつけた状態の父親が、

本当にあんなに力強くハッキリと

話すことができたのだろうか?。

そう考えると、声として聞こえたのではなく、

インスピレーションとして自分の心に

父親が直接訴えかけたのではないだろうか。

だから、今も自分の心の中では、

父親のその時のメッセージが心強く残っている。

そして、自分が辛い気持ちになった時に、

その声が自分を励ましてくれるように感じがしている。

母親の話では、

父が退院をしてから、

父は不自由な体の状況の中でも、

今までお世話になった人たちに、

会ったり手紙を書き続けていたという。

そして、大体の手紙を書き終えたときに、

亡くなったという。

まるで、この作業をするために、

退院してきたようだと。

ほんと、几帳面な父親らしい最後だと。

その父親の最後の作業を、

自分がサポートできてほんとに

よかったと今は思っている。

そして、この間の一周忌のとき、

自分は父の墓の前でこう約束しました。

「あなたから引き継いだ命の連鎖

 あなたと同じよう

 諦めることなく生き続けます。

 そして、自分が年をとり、

 いつかその命が終わるときに、

 頂いた命を後悔することなく、

 ちゃんと生き抜きましたよと

 あなたに報告ができるように生き続けます。」と。

これがこの間の一周忌の時に感じたことでした。

ほんと、最後の最後まで自分にとっては偉大な父親であり、

最後の最後まで父親から生きることを学び、

その存在を超えることはできないな~と感じました。

親父、今まで本当にありがとう。

今日も1日ありがとうございます。


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