少し、本田健さんの本から外れる話しになるが、
昨日の記事の続きの事を書いてみたいと思う。
街で歩いているスーツを着たサラリーマンが怖いという感情。
この光景をとある心のフィルターを通してみると、
自分の気持ちが落ちる事を書いた。
そして、自らそのフィルターを通すことを選択して見ていたことを。
もう1歩、その怖かったものを感じてみると、
サラリーマンが怖いのでなく、
スーツが怖かったということを思い出した。
自分は、実は「生まれときからスーツが怖かったのです」
というような変な感情をもっていないし、
実は「スーツに裏切られたのです」というような
スーツ自体に何らかの恨みがあるわけでもない。
もちろん、自分が会社員をしていた頃は、
毎日スーツを着て通勤電車に乗って会社に行っていた。
そんな、あたりまえのスーツがうつ病になったとたん、
怖いものに変身をした。
その感覚は、お化けを見たら怖いというような、
意識的な恐怖ではなく、、
スーツを見ると、なんだか恐怖を感じて、
気分が落ちていく無意識的なものだった。
だから、自分の部屋のスーツが架けてある
クローゼットはその時から開かずの扉になった。
でも、どうしてうつ病になってスーツが怖くなったのか?
こうやって文書で書くと表面的にはなんの因果関係がない。
でも、自分の心の中では、この2つに完全に因果関係があった。
その因果関係こそ、心のフィルターだった。
その心のフィルターとはなにか・・・
その続きを次回書きます。
※今日から子どもを連れて帰省するので、
ブログを細かく分けてUPしていきます。
今日も1日ありがとうございます。
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