先日、友人からおもしろい話しを聞いた。
「富士山の麓にある浅間神社で宣言をすると、
その宣言が現実になる。」と
富士山の周辺には浅間神社が複数あるので、
どこの浅間神社なのかはわからないのだけど、
昨日、富士吉田にある北口本宮冨士浅間神社の
近くを通ったので寄り道をしてみた。
杉の大木が並ぶ、しっとりとした空気の参道を
ゆっくりと歩いていく。
鳥とひぐらしの鳴き声を感じながら、
北口本宮冨士浅間神社の本殿で参拝と宣言(コミット)をする。
宣言をしたときに思ったことなのだけど、
普通、神社でお参りするときは、
”~なりますように。”
とお願いの言葉になるだけど、
それを宣言に変えると、
”~します・なります。”
という言葉使いになる。
”~なりますように”のお願いは、
神様に対して受動的な状態で、
願いが入ってくるのを待つことになる。
一方、”~します・なります”の宣言は、
神様に対して能動的な状態になり、
自分の宣言(願い)に対しても、
自分で行動していくことを約束することになる。
願いが入ってくるのお願いするのではなく、
自分が思い描く結果(出口)に対して行動を約束すること。
これは出入口の法則から考えると理にかなうし、
それに、もし、自分が神様の立場だとしたら、
心から応援してあげたいと思うのは
どちらのタイプの人だろうか。
もしかして、浅間神社に限らず、
どこの神社でも、
何かをただ、お願いをするのではなく、
今までの人生への感謝と、
これからの自分の人生の宣言を、
神様に誓えばいいんじゃないかな~。
そんな事を感じました。
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