ここのところ、
フォトリーディングの記事が続いているので、
少し視点を変えて、日常気づいた事を
しばらく書いて行こうと思います。
先日、小学3年生の長男宛に、
某○○ゼミから夏休みにむけてという、
マンガの小冊子が届いていたので、
そのマンガを読んでみた。
小学3年生の主人公A君は、
夏休み前のテストが75点だった。
そして、周りの友達はみんな100点。
A君は家に帰ると、おかあさんから、
「なんで100点じゃないの。
もう夏休みは遊ばせません」と叱られて、
がっくりと落ち込んでしまう。
そこで、A君のおねえちゃんが登場、
○○ゼミの夏休み勉強キットで勉強すれば、
効率よく勉強が出来て、夏休みも遊べて、
2学期には100点になれるのよ~。。。
という感じのストーリーだった。
このマンガを読んだ感じたことは、
今でもこんな考え方で勉強を捉えている~と思った。
このストーリーでは、テストは100点であるべき、
という前提の基に話しが進んでいるのだけど、
なぜ、テストが75点の点数では駄目なのか。
なぜ、お母さんは100点しか認められないのだろうか。
このマンガではテストは100点であるべきという
テストに対する思い込みを子どもの無意識に
植え付けているのではないだろう。
僕の考えでは、テストは100点よりも
75点の方がいいと思っている。
なぜならば、
100点のテストよりも、75点のテストの方が、
25点分の自分のわからなかった事に気づく事が出来るから。
そして、わからなかった事を復習をして、
次回のテストで正解したら、自分の成長を感じる事が出来るから。
常に100点の点数をとり続ける事が、
あたりまえになってしまったら、
例え99点でも、許すことが出来なくなり、
もっともっと勉強しなければならないという
脅迫的な考え方に追いこまれてしまう。
そして、そもそも勉強する目的が、
テストで100点をとるためにという思考になり、
大学卒業するまで勉強する目的を理解できなくなってしまう。
人は完璧な存在ではなく、必ず欠けているところがある。
人は欠けているところがあるから、自分で学びや成長をつづけ、
時には人同士で助け合うのだと思い。
欠けているところがあるから学び成長をつづけ、
結果として、新たな気づきとその喜びがある。
常に完璧を求め続けたり、
常に100点の状態であったなら、
人は学びや成長をすることがあたりまえになり、
そこには、新たな気づきや喜びを感じられないと思う。
100点よりも75点でいいと思う。
だって、人間自体も75点ぐらいの生きものだから。
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