昨日、友人とランチをした。
その友人はちょうどいま人生の転機いるようで、
これからの生き方を悩んでいる感じだった。
その友人の悩みを聴いている時に感じたことがあった。
彼は、今まで成功という成功をしたことがなくて、
色々とやっても失敗ばかりで途中であきらめてしまって、
自分に自信がもてないというものだった。
実は、彼のこの悩み、以前の自分の昔の悩みと同じだった。
自分がうつ病でモンモンとしていた時の
考えがまさにこの悩みだった。
うつ病になった自分の事を、
人生最大の失敗と思い、、
もう失敗したのだから、
成功することもできなくて、
その結果、自分の自信を喪失していく。
そして、その答えなき自分への問いかけが
負のスパイラルとなり、最終的に自分自身をも見失っていく。
そんな感じだった。
でも、実はこの思考は、
大切な言葉があいまいに表現されていて、
そのあいまいさが故に悩みを増大させていたりする。
その言葉は”成功をする”という言葉。
自分が病気になったとき、一番最初に感じたことが、
”自分は失敗したのだからもう成功できないのだ。”
というもので、そんな思いから自分を責め続けたりした。
でも、この時、成功という言葉の意味を深く考えられていなかった。
そんな事でしばらく悩み続けていた時に、
フッと自分にとって成功ってなんだろう?と思った。
そして最初に感じた成功は、
「社会的に立派な地位について給料を沢山もらうこと。」というものだった。
でも、その答えは自分の性格からしてなんか違うと思ったので、
次に、どうして”立派な地位とお金が必要なのか”を考えてみた。
その答えは、家族が幸せに暮らせていけるようになるため。
家族が幸せに暮らすためには沢山のお金が必要なため。という事だった。
そんな考えをしていたときに、子ども達が家の中で楽しく遊んでいた。
あれれ、子ども達にとって、今は不幸なのか?、幸せじゃないのか?
そんな疑問がわいてきたので、
子ども達に聴いてみた「今は幸せかい?」と
そしたら、子ども達は、「幸せかどうかはよくわからないけど、
今のこの遊びはとても楽しいよ。」と答えてくれた。
そっか、子ども達は”今が楽しければ十分なんだ~”と感じた。
そして、自分が求めていた成功とは、
実はもう、いまこの目の前にあるのではないかと思えた。
定義無き成功を求めて、定義無き成功が達成できないから、
自分は失敗したと意味づけて、自分を責め続けること、
これは無駄なことなんだな~と感じることができた。
そして、昨日会った友人の成功を聴いてみた。
その成功とは、とても素敵な彼の将来の目標だった。
であるならば、単純に成功というひと言で表現するのではなく、
その目標をもっと具体化して、もっとイメージ化して、
その上で、今の自分がどんな行動を出来るのかと考え、
1歩1歩でいいから歩み続けられれば、
彼ならばきっと達成できるのでなはないかなと感じた。
そして、最後に、
彼は今まで成功という成功をしてこなかったと言っていた、
でも自分が生まれてから今この時の人生を振り返ると
赤ちゃんで生まれて、
1人で立てるようになり、
言葉を話すようになり、
計算ができるようになり、、
人とコミュニケーションをとれていることを。
これは立派な成功ではないのかな。
成功している人と自分を比べるのではなく、
過去の自分と今の自分を比べてみると、
実は、沢山の成功の基に今があることに気づけたりする。
彼と話をしていてそんな事を感じた。
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