農業という仕事は、
大地に野菜の種を蒔き、
自然の力を借りながら、
その野菜を育て、
美味しいタイミングになったら、
収穫をして野菜を商品にすること。
その後、その野菜が食材となり、
消費者により消費されていく。
農業を人間の視点で仕事や産業と捉えると、
野菜を作り提供するのが目的になる。
人間視点ではこれがあたりまえだと思う。
だけど、視点を人間から野菜という
植物の生命体の視点に切り替えてみると、
なるほど~と思えることに気がついた。
人が食べる植物を、「野菜」と言う。
だから、野菜は植物という1つの生命体になる。
植物の生命プロセスの目的として、
自らの生命体の子孫の継続というものがある。
たんぽぽは、黄色い花を咲かせた後、
白い綿毛に変わり、風にのって種を飛ばし、
次の命へとへバトンを渡していく。
これが、植物の生命プロセスであり、
野菜になる植物もまた同様である。
にんじんはにんじんの、
トマトはトマトの実をつけることを
目的として育っているのではなく、
次の命へとバトンを渡す準備として、
実をつけている。
にんじんであれば、
土の中ににんじんの根(実)が出来た後、
地上に花を咲かせて種を実らす。
その為の養分がにんじんの役割になる。
トマトであれば、トマトの実が完熟して熟れて落ち、
その熟れたトマトが養分となり、
トマトの中の種が次の季節に芽をだす。
そう考えると、人間が野菜と称して、
いちばん美味しい時期に収穫をしている事は、
植物の視点になれば、さあこれから!という時に、
命を絶たれることになる。
そして、植物の「さあこれから」という時期は、
人間にとってはおいしい時期であったりする。
農業を手伝い、色々な作物をみていく中で、
ほとんどの作物が、そのタイミングの時に収穫している。
これはきっと、
植物としての生命エネルギーが1番高い状態の時が、
人にとっては1番おいしく感じられるように出来ていて、
人はその状態の野菜を食べることで、
その生命エネルギーを引き継いでいるのだと思う。
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