昨日の記事の続き、
メイドさん達から、
「いってらっしゃいませ~ ご主人さま」と
お見送りをされて、友人と秋葉原の街をあとにする。
その後、落ち着いた街のスタバに入り、
ゆっくりとコーヒーと会話を味わう。
やっぱり、この方が自分の性に合う。
僕はメイドカフェみたいなお店は、
いきたいと思っていなかったし、
どちからというと、
くだらないと否定をしていた。
でも、否定をする自分を知りながらも、
今回、あえて秋葉原やメイドカフェの
世界観に入り自ら体験をすることで、
日常の性に合う生活のなかでは感じられない
、
心理的抵抗や自分の枠みたいなことに気づけるし、
なにより、僕が否定している世界観の中でも、
それを楽しいと感じている人もいるということが、
メイドカフェを観察していて気づいたこと。
僕らはどうしても、
自分の世界観をとおして社会を見ていて、
その世界観に合わないものを簡単に否定をしてしまう。
しかし、あえて自ら否定する世界観に入ってみることで、
まあ、それもありかな~と許せるようになれると思う。
それに、今回のメイドカフェ体験の話しは、
僕の中では1つの笑い話しのネタにもなっている。
人は自ら体験したことを話すことで、
それが活きた経験に変わっていく。
自分の世界観に合わないものは、
くだらないと一方的に否定するよりも、
その否定する世界観に入り自ら体験をすることで、
自分の心の中で感じれることが多いと思う。
ただ、あえて違う世界観に触れて、
そこにハマってしまうと大変なので、
常に客観的な自分は保ってくださいね。
そうそう、その後、友人からの情報で、
ツンデレカフェというものがあるらしい。
なんとなく行ってみたいと思う自分がいます・・・・
コメント
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おお。面白かったです。シリーズメイドカフェ。
そうね。何でも否定するべきではないんだよね。
常識ってなんだろう?? とふと思うよ。
礼儀というのは、ある程度必要だけどね。
人を否定するような常識・・というのは、人を傷つけたり苦しませたりするのではない以上、決め付けるものではないと思います。
その人が満足するならば、そういうのもアリなんだと思う。
それぞれ違う栄養を取りこんで、イキイキしていくんだよね。
みんな同じではない。
例えば太鼓のように、一定の価値観を表現する目的を持っている団体の中では、ある一定の常識的な行動なり、表現が求められるけど、それは、団体としての価値を保つために必要だからね。
何でもいいわけではない。
けども、個々人は、話が別だからね。
否定しあうより、容認することだと思う。
受け入れなくてもいいから、受け止められる人であろう・・ということじゃないかな。
受け止める際、今回のパパのようにワンクッション置いて、楽しんだり笑いネタにしたりできるのが、ベストじゃないかな。
ゆうたつには話さないよー。
だいたい知らんだろ、メイドカフェなんて用語は。
タイキなら分かるけど、タイキにも言わないどくよ。
あ、でもかなりウケるとは思うよ。タイキには・・(笑)
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>空さん
ありがとう。
メイドカフェのこと思い出しながら
ブログを書いていたのですが、
自分でも笑いながら書いていたので、
妻から怪しい~と言われてしまいました。。
そうだね、常識とか正義という言葉を使うと、
それから先の思考が停止しちゃうんだよね。
だから、常識とか正義とか言う前に、
相手の視点に立つことが大切だと思う。
もちろん、人としてのモラルは必要だけどね。
>それぞれ違う栄養を取りこんで、イキイキしていくんだよね。
>みんな同じではない。
いい言葉だな~。ほんとそう思う。
みんな違って自分を表現すればいいんだよね。
それが、本来の人それぞれの素敵な個性だと思うな。
今度、ツンデレカフェのネタでも作ろうかな~、
やっぱり、また行きたいと思っている自分がいる(笑)
コメントありがとう~。