もし、自分に「いただきます」
という言葉の概念がなかったとしたら、
自分がどんな状況のときに自然と
「いただきます」
という言葉が生まれるだろうか?
そのときの気持ちは
どんな感じだろうか?
そう考えてみると
まず、古代ローマ帝国のように、
毎日食べることに困らずに、
欲望のまま食べていたら、
「いただきます」の
言葉は生まれないだろう。
「いただきます」の
言葉の誕生の背景には、
きっと食べることに困った状態、
明日を生きることも困難な状態のとき、
それでも、なんとか、
今日を生きられる分の、
食事を食べられたとき、
人は自然と「いただきます」と
言ったのではないだろうか。
そして、その時の気持ちは、
食事を食べられる感謝と
今日を生きられる喜びの
感情で一杯だったと思う。
食べられることへの感謝と
生きていられることへの喜び。
このことをあたりまえすぎて、
今の日本は忘れているかもしれない。
「いただきます」しっていますか?
最後、続きを明日書きます。
ファームカウンセリング 空
自然の中でカウンセリングしています。
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