あの震災からもうすぐ2週間が過ぎようとしている。
あの後、直接震災していない僕でも、
不安からか気持ちがなかな整理出来ず、
日々の生活が落ち着かずブログを書くこともできなかった。
もちろん、この大震災の中でも、
原子力発電所に命がけで働く人々。
避難所の中でも笑顔を絶やさない人々。
ボランティアで助け合う人々。
人の勇気やあたたかい気持ちで
励まされたこともある。
※ここから自分の思いを素直に書きます。
もしかしたら被災した人を傷つけることを書いてしまうかもしれない。
でも、今の不安一杯の社会を少しでも変えたいという気持ちで
書いておりますのでお許しください。
ここ2週間で起きた事象を一言で箇条書きすると、
・M9.0の大地震
・毎日発生する余震
・8メートルを超える大津波
・大津波に飲み込まれる町
・がれきの街を茫然と立ちすくむ人々
・原子力発電所の爆発
・放射能物質の拡散
・関東から退避する海外企業
・汚染される野菜と水源
・それを口に入れても
「すぐには影響ない」というだけの説明
・街から消えたガソリン
・ガソリンを求める車の長蛇の列
・買い占められた食糧と水
・停電で暗闇になる町
・インターネットで
繰り広げられている
さまざまな情報
などなど、、
これだけの事がたった2週間のうちにおき、
しかも現在進行形である。
そしてこの事が毎日の様に
テレビ・新聞で報道されている。
それを毎日見ていると、
多分だれもが不安になると思う。
そしてその不安は伝達をして、
不安が不安を呼ぶ状況になっている。
うちの子どもたちも地震から、
夜一緒に添い寝してほしいとか
夜泣きやおねしょをするようになった。
それは多分、自分の不安が子どもたちに
伝達しているのではないかと思う。
でも、いまの自分は
何が不安なのだろうか?
何に恐れているのだろうか?
この不安はどこからきているのだろうか?
という疑問をある本を読んで感じるようになった。
いま自分は埼玉県に住んでいる。
放射能の拡散は気になるが、
被災した人たちからみれば、
とても恵まれた環境にいる。
でも自分を含め、周りの人々も不安だから、
近所のスーパーから保存食や水が急いで
買い占めたりしているのだと思う。
人の不安とは一体何なのだろうか?
2週間前の木曜日の夜まで、
このような不安一杯の社会であっただろうか?
いま、僕の頭の中はこの疑問がぐるぐる回っています。
今日も1日ありがとうございます。
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