煩悩の火を消し去ろう 3

前回の記事からの続き。

A店が火事になり行き場を失った常連客たち。

それから3ヶ月後、

その常連客達はどうなったかというと、

常連客の1/3は、

 A店の飲み放題・食べ放題の誘惑にまけ、

 我欲のまま暴飲・暴食を続けた結果、

 なんらかの病気になってしまい、

 もう、ビールを楽しむことができなくなっていた。

常連客の1/3は、

 いままでA店で体験したことに執着し、

 我欲の欲求の赴くまま、

 また¥1000円で湯水のごとく飲めるビールを求め、

 他の店を探す旅にでた。

 でも、A店と同じような店はきっとないのに、

常連客の1/3は、

 今までの執着・我欲を捨て、

 B店に通いはじめた。

 そして、その常連客達は

 あることに気がついた。

 「ビールっておいしいんだ!!」

 飲み放題のA店は、

 湯水のごとくビールを飲むことができた。

 しかしB店は2時間で中瓶2本だけ。

 その結果、ゆっくりビールを飲むようになり、

 それを味わい・会話を楽しむ感性がうまれた。

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人の欲求は永遠につきないもの。

常に無いものを求め続けるもの。

その欲求だけを求めて行動している時は、

きっと、人の感性は働かないのかもしれない。

だから、今あるものに感謝することができず、

不平・不満を言ったりするのかもしれない。

今回の震災であたりまえだったものが一瞬で崩れた。

それは電力とガソリンの2つのエネルギー。

僕は震災前までは何も感じず、

あたりまえに使っていたエネルギー。

しかし、震災後の電力・ガソリン不足、

そこで初めて自分たちの日常生活が

2つのエネルギーへ依存していた事を知り、

いま、普通に使えることに

感謝することができるようになった。

この大震災をきっかけにして、

僕ら日本人は今までの煩悩に気づき捨てるときなのだと思う。

もう、大量生産・大量消費の時代の終わりだと思う。

そうなると、当然、今までの便利さ快適さを失う。

最初は不便を感じると思う。

でも、そこに不平・不満を言うのでなく、

いま、普通に生活出来ることをまず感謝していく。

そしてそれは、僕ら日本人にしか出来ないことだと思う。

震災からわずか3日後に始まった計画停電に対して、
被災者の事を思えばと停電を素直に受け入れる日本人。

クラクション1つ鳴らさず、ガソリンスタンドに
5時間以上待って順番に給油する日本人。

不安だから少し買い占めの行動に出てしまったが、
略奪することもなく、レジの長蛇の列に真っ直ぐ並ぶ日本人。

この大震災でも他人の事を考え思いやり、

自分の行動を律することができる日本人だからこそ、

出来ることだと思う。

僕はそんな日本人に生まれてきた

ほんとうによかったと思う。

今日も1日ありがとうございました。
 

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