人間には感情がある。
喜ぶ・愛する・楽しむ・悲しむ・怒る・恐れる などなど色々である。
自分は、つい最近まで、
この感情の事を感じる事も考えることもなかった。
だって、感情は生まれながらに人間に備わったものであり、
この世に生まれ時からから感情があるのがあたりまえだし、
感情で心が左右されるのもあたりまえだと思っていたから。
だから、子どもの時は、喜びたいときに喜び、怒りたいときに怒り、
恐ろしいときに恐れてきた。
そして、大人になると、感情を表現する事が
なんだかかっこわるいことだと思い込み、
感情を抑圧してきたような気がする。
ユダヤ人大富豪の教え”ふたたびアメリカ編”
ケンとハリーのセッションの中で、
ハリーは「感情はエネルギー」だと言う。
そして感情は人生のガソリンであり、
人生に必要なエネルギーだと。
この感情と上手く付き合うことで、
豊かな人生を送れるようになると。
人はある事象を体験すると、
その人の心の中に感情が生まれる。
例えば、満員電車の中で足を踏まれたとき。
人によっては、満員だから仕方がないと思えるか、
踏まれたことだけにフォーカスして怒りを表現して、
その怒りを相手にぶつけるか、
その感情は人の価値観により異なり、
その結果の行動も大きく異なってくる。
1つの事象に対しても、
人の価値観・その時の状況により、
その時の感情は毎回異なるという事実、
そして感情の感じ方を変えることで
行動を変えることができる事実。
その事に気づくことが出来ると、
自分の感情とうまくつきあえるような気がする。
先ほどの例によると、
足を踏まれても満員だから仕方がないと思えれば、
その足を踏まれたという事象は、
少し足が痛むぐらいで終わることになる。
だけど、怒りの感情をそのまま相手にぶつけると、
「満員だからしょうがないだろう!!」って
もしかしたら、相手も怒りの感情で返してくるかもしれない。
そうなったら、怒りエネルギーと怒りエネルギーのぶつけ合いになり、
お互いが無駄なエネルギーを消耗して、無駄な争いをして、
足を踏まれた以上の痛みを伴うかもしれない。
感情自体をコントロールする事はできない。
それは感情は人間が生きる為の本能だから。
でも、その感情をどう感じようとするかは、
自分で選択できることではないだろうか。
ハリーがいう、「感情とうまく付きあう」とは
こういうことを言いたいのではないかなと思う。
ユダヤ人大富豪の教え ―ふたたびアメリカへ篇/本田 健
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