昨日の記事の続き、
みなさん、
右足の親指と人差し指、どちらの方が長かったですか?
自分は人差し指の方が長いのです。
そして、この答えこそが
「父親たるもの・・・」の価値観のきっかけだったと思う。
この「右足の親指と人差し指、どちらの方が長い?」
という質問は、
自分が小学5年生の時の、林間学校で皆でお風呂に入っているときに
親友からされた質問だった。
そしてその親友の言葉は、質問の後にこう続いていた。
「俺は人差し指の方が長いんだよね~。
だから、俺は父親よりも偉くなれるんだよね~」
そう、人差し指の方が長いと父親より偉くなれるという話しだった。
今思うと、この話しをその後、他の人から聞いた覚えがないから、
きっと、その親友の中だけでの話しだったのだと思うけど、
今でもその時の事をハッキリと覚えている。
これが自分の中の「父親たるもの・・・」の価値観、
すなわち、自分は父親より偉くなりたいという本当の思い。
今は亡き自分の父親は、ものすごく立派な社会人だった。
一流の大学を出て、一流の会社に入り、
そして、そこで役員にまで出生をして、
その会社を退職後も、関連企業で社長を務めていた。
そんな立派な社会人だった父親。
でも家に帰れば普通の父親だった。
そんな、父親の下でぬくぬくと育った自分。
そんな自分に父親は、人生の強制はしなかった、
いい大学に行けとも、いい会社へと入れとも言わなかった。
ただ、自分のことを応援してくれていたのだと思う。
でも、自分はどこかで父親の社会面だけを見ていて、
父親よりも社会的に偉くなりたいと思っていたのかも知れない。
だから、一部上場企業や管理職という事に
ステータスを感じていたかもしれない。
それが、「父親たるものスーツを着て
会社で仕事をしなければならない。」
という社会的な価値観となり、
ある時はそれが仕事の原動力となっていたり、
そしてある時は、それが出来ていない
自分を苦しめてきていたのかもしれない。
今思うと、自分は父親を超えることはできないだろう。
いや、父親を超えようと思っていないのかもしれない。
父親は父親の人生を楽しんで全うして亡くなったと思う。
最後の最後まで、生きる事を諦めることはなく、
ほんとうにすらばらい人生だったと思う。
そして、自分も父親のように、
人生を楽しんで、いつか全てを全うできればいいと思っている。
自分と父親を比べたところで、親子であれでも、
1人1人の人生は異なるのだから。
そう感じる事が出来たとき、1つの価値観が、
心の中から消えていったのだと思う。
余談ですが、人間の足の指の長さは、
足の形として遺伝子的に組み込まれていて、
人差し指が長いのはギリシャ形という
立派な足の形だそうです。
チャンチャン
今日も1日ありがとうございます。
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