昨日の記事で書いた地球生態系自然観
人間が便利な文明を築く過程で、
地球の環境を破壊してきたこと。
Co2を大量に排出し、オゾン層を破壊して、
放射能なる物質を地表にばらまく。
もちろん、自分も車を乗るし、
以前は電力を考えずに使っていたので、
自分もまた、その破壊行為に参加をしていた。
でもこのまま環境破壊活動が続き、
その環境が壊れたら、、、
環境が全生命に与えているエネルギーが崩れ、
生産者・消費者・還元者へ破壊の連鎖が及ぶだろう。
もちろん、僕ら人間にも。
この記事を書いていたとき、
1つのメッセージを思い出した。
それは以前の記事でも書いた、
手塚治虫さんの「ブッダ」からのフレーズ
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「手塚治虫のブッダ救われる言葉より」 光文社知恵の森文庫より
あれは煩悩の火だ。
ボンノーって何さ。
人間の欲望の火が燃えとるのじゃ。
・・・・他の人間をみなさい。
みんなメラメラと燃えているだろう。
出世の欲、商売の欲、ぜいたくの欲、
大食いの欲、名声の欲、なまけ欲、
そんなのが燃えあがっとるんじゃ。
そうとも、人間はだれしも欲望を持っとるからな。
その火は恐ろしいぞ。
いまに身をほんとうに焼きつくすぞ。
文明が進むにつれて人間の欲はつのり、
その煩悩の炎はどんどん大きくなり・・・
その炎のためにさまざまな悲劇が起こるじゃろう。
そして、やがて世界が滅びてしまうじゃろう。
人間が長生きしたければ、煩悩の火を消すがよい。
それはいっさい欲をださず、自然のままに生きることじゃ。
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そして、今回の震災から何も学ばずに、
僕ら人類が煩悩を捨てることが出来なければ、
その欲望はどんどん広がっていき、
やがて地球全体を埋め尽くし、
また、生命の循環を破壊するようにも感じる。
だから、いまこの時から、
実は自分たちもまた
1つ生態系の中で生かされている事に気づき、
その生態系が崩れるような社会活動を
考えるべき時がなのではないだろうか。
そんな事を感じます。
今日も1日ありがとうございます。
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