昨日の記事で環境破壊の事を書いたけど、
最近の天候の大きな変動は、
もしかしたその影響なのかと感じる事がある。
たとえば、ゲリラ豪雨。
先日も買い物に行こうとしたとき、
ちょっと雲行きが怪しいかなと思いながら歩いていたら、
いきなりバケツをひっくり返したような豪雨が降ってきた。
地響きを感じるほどの雷も鳴り、強風も吹き始め、
とても傘をさして歩ける状況でなくなった。
なので、雨が上がるまで雨宿りをしていて、
その状況を観察していたら、
雨が降り始め10分ぐらいで排水溝の水があふれ始め、
15分もしたら、もう道路が冠水していた。
もし、このまま雨が降り続けたらどうなるのか?
と心配をしていた時に、雨がピタっとあがり、
晴れ間が見えてきた。
この時、たった15分の雨で道路が冠水して、
僕らが日常使っている車が走れなくなる、
自然の脅威と人間の社会の弱さを感じた。
僕が子どもの頃の夏の雨といえば、
夕立だった。
自分は夕立が好きだった。
雷が鳴り、少し強い雨が降るけど、
夕立の後は熱くなった大地を冷やし、
夕立が降った夜は少し涼しく感じた。
そして、自分は夕立が降ったあとの、
香りがとても好きだった。
最近、その夕立という言葉がゲリラ豪雨という
言葉に切り替わっている。
雨が降ること自体に人間は脅威を感じている。
ここ数年の気象情報で”観測史上初”という
言葉をどれだけ聞いただろうか。
きっと、夕立がゲリラ豪雨に切り替わったのも、
ちょっと前の僕らの社会の煩悩の結果ではないだろうか。
また、いつの日か、昔の夏の夕立を感じられる
気候に戻れればと思っている。
その為にも、今の社会や生活を少しずつ、
昔に戻していければ、
きっと気候も昔に戻るのではないだろうか。
そんな事を感じた。
今日も1日ありがとうございます。
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