僕らが毎日食べる食事の原点には、
必ず他の命が存在している。
そして、その命は、
本来は生き続けられるものだった。
僕らは、他の命から、
生命エネルギーを受け取り
今日も生きている。
僕が約35年生き続けてきた、
僕の命は、どれくらいの
命の上に成り立っているのだろうか。
人は常に問われていると思う。
他の命からいただいたエネルギーを、
あなたはどう使うのか?ということを。
人の行動・言動・思考は
全てエネルギーだと思う。
その自分のエネルギーを
人の妬み悪口を言うこと、、
自分を否定して過去を後悔すること、
自分に絶望して自らの命を落とすことなどに
エネルギーを使う人が多いが、
そんな事の為に、他の命は、
命を提供しているのだろうか?
そして、宇宙はそのエネルギーを
求めているのだろうか?
僕がうつ病をひきずって
まだ、自分を否定していたとき、
15年生きられるはずだった
”にわとり”を自分の手で殺し、
その鶏肉を食べたとき、
自分を否定する考えが傲慢に感じた。
そして、殺した”にわとり”の分まで、
生きていく必要があるとも感じた。
そのときから、僕の中で、
「いただきます」を言うときに、
今日頂く命の分まで、
「自分はよりよく生きます」と
約束の想いを込めるようになった。
今の日本では、
食べられることが
あたりまえになりすぎた。
だから、
生きられることも、
あたりまえになった。
そして、
”自分は生きている”という
実感を持てなくなってしまった。
生きているという実感が持てないから、
自分で自分の命を落としてしまったり、
簡単に他人の命を殺してしまうのではないだろうか。
食事をするときの「いただきます」に
再び想いを込めることから、
やり直すべきなのではだろうか。
「いただきます」しっていますか?
続きを明日書きます。
ファームカウンセリング 空
自然の中でカウンセリングしています。
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