昨日、正義のヒーロについて書きましたが、
この世界、
”正しさ”だけで物事を見てしまうと、
必ず”誤り”が見えてくる。
なぜならば、
”正しさ”を証明するために、
”誤り”の存在も必要だから。
これは人間関係においても言えること。
自分の方が”正しい”と思った時点で、
心は相手の”誤り”を見つけてしまい、
相手の”誤り”を指摘して、
相手を正そうとしてしまうもの。
先日、子どもから1+9+3=と聞かれた。
僕は答は13だと答えた。
でも、子どもはその答は正しくないよ、
答は一休さんと言う。
算数という学問で捉えれば13が正しく、
”とんち”と捉えれば一休さんも、また正しい。
同じ問題でも、物の見方を変えれば答えも変わる。
一方的な物の見方の中に”正しさ”はなく、
その人がどう物を見ているのか?
その事をお互いに理解しあうことが、
人の道にかなって正しいことではないでしょうか。
とある雑誌で読んだ記事ですが、
キリスト教やイスラム教などでは、
神に対して”善と悪”で
考えることが多いようですが、
日本の神道では、”善と明”。
どちらが正しい、誤りではなく、
どちらにも言い分があると
考えるそうです。
いま、尖閣問題をはじめ、
日本の領海を侵犯されていると、
連日報道をされていますが、
僕ら日本人だからこそ
”善と明”で考えるゆとりも
また必要なのではないでしょうか。
そんなことを感じています。
ファームカウンセリング 空
自然の中でカウンセリングしています。
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